Luke's Testimony for 2010
“God's Work Done in God's Way Will Never Lack God's Supply” —Hudson Taylor
That is the quote with which I opened my Kami no Kazoku contribution last year. Since then I have often wondered: “Are we doing God's work yet? Are we really doing it in God's way?” It is easy, as I shared last year, to doubt. But God has indeed supplied our needs. We came to Canada with one year's supply—our supply (for so we are wont to consider the treasures we store up on earth).
But what would happen beyond that year? A year is a long time when you are young, and it is easy to be optimistic about the remote future. Prayers that concern one year from now are never so fervent as prayers that concern the moment, and I must confess that there was a casualness to our nightly prayer at family devotions: “ . . . and Father, we pray that daddy will be able to find a job and that we will be able to find a place to live next summer.” By spring, though, this prayer took on considerable urgency. We were exhausted from frequent bouts of illness, depleted by a never ending procession of assignments and deadlines, and increasingly weighed down by worry about our future. In a freezing city without a car, just living day to day was consuming all of our energy and leaving us with neither the time nor the will to search aggressively for a place of residence and a source of income against the inevitable hour when our rental agreement would end and our savings dry up. And we were expecting our third child in May.
My school term ended in mid-April and suddenly we found ourselves with an abundance of time and little to do with it but worry. I began to look for work and the prayer that formerly had seemed to be so matter of fact—“and Father, please help daddy to find a job”—began to seem like an impossible petition. In a struggling job market, how could I possibly find work that would house, clothe and feed my family and still leave me time to write a master's thesis? Life looked bleak indeed in those weeks. We had been accepted as OMF missionary appointees to Japan in February, but it looked as if all of our time and energy must be consumed with just surviving in Toronto, leaving no opportunity to begin the important work of partnership development.
In retrospect, our perceived desperation was trivial in comparison to the trials of many of our brothers and sisters in Christ around the world. But God is gracious and meets his children where they are and according to their measure of faith—as meagre as that measure might seem to veteran eyes. And so, all at once, our Father in heaven supplied all our needs in a manner far exceeding what we had even dared to hope for. The position of Residence Don suddenly opened up at Wycliffe College where I am a student and where we had been living. At first I had no intention of applying for it, imagining that there were many far more qualified candidates lining up for the job. However, with my wife's encouragement I went ahead and submitted my application and, to our surprise and delight, was hired right away. Moreover, with this position there also opened up a much larger family apartment in the College that has proved far more suitable to the health and wellbeing of our growing family. Not only do I work from home but I also have sufficient time remaining to devote to my thesis and the important task of building partnerships with churches and individuals for our future work in Japan. The LORD will indeed provide.
As for the great work currently laid before us of getting to Japan, I would like to close with another Hudson Taylor quote:
“Brother, if you would enter that Province, you must go forward on your knees.”
(Hudson Taylor was not, of course, speaking of Japan, but this piece of advice is very applicable to missionaries to Japan.)
Yuko's Testimony for 2010
アドナイ・イルエ『主が備えてくださる』
2010年の恵みの旅路を振り返って
エリオット優子(Yuko Elliot)
そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。
---創世記22章14節
2010年2月、OMF特別選任理事会での面接を経て、私たち夫婦は正式にOMF(国際福音宣教会)の宣教師候補として招聘された。と同時に私たちのサポートレイズの旅路が始まった。弱い者である私たち夫婦の目から見ると、果てしなく長く続く終わりの無い旅路の様に思えた。
その直後、あるクリスチャンの方から「日本へはこれまでの歴史の中で十分宣教師が派遣されているのでもう送る必要はない。日本人へは福音が宣教されて来たけれども、応答しなかったのは日本人達の責任なのだから。」と言われ、私たち夫婦は衝撃を受けた。トロントに住み始めて薄々感じてはいたが、世界宣教に対する理解と情熱が多くの教会や若い世代のクリスチャン達に失われつつあること、そして、特にいわゆる先進国日本への宣教は「不必要・お金の無駄」と認識されていることが、先の一言で「やっぱり…。」と思わされてしまった。
近年、北アメリカの諸教会は「経済的不況」を献金額が急激に減っていることの一因としている。しかし、私はそれだけが理由ではなく、多くの教会がその時その時の社会経済の流行に流され、世界宣教の重要性や支援、更にはクリスチャンとして「献金すること」の責任と喜び(つまり聖書的理解)を次世代に継承して来なかったことにあるのではないかと考える。もっと掘り下げていくと、次世代への信仰継承がなされて来なかった「しわ寄せ」がここに来て献金額にも顕著に現れているのではないだろうか。
「本当に日本へはもう宣教師を派遣しなくてよいのだろうか?本当に福音は日本の全ての地へ述べ伝えられ、日本人が福音に対して応答して来なかったから、後は自分たちで責任をとらなければいけないのだろうか?日本での宣教の働きは単なるお金の無駄遣いなのだろうか?」様々な問いが私たち夫婦の頭の中をぐるぐると駆け巡った。しかし、いつも思い出すのは、日本の都市部から離れた地域、つまり「田舎」と呼ばれる地域には教会が全くと言っていい程存在しないということ、日本のクリスチャン人口がわずか0、5%という現実、そして言葉では言い尽くせない程の苦労をしながらも日本の地で忍耐強く主の働きをして来られた宣教師達の「日本は『収穫は多いが、働き人は少ない』のですよ。」という言葉だった。私たち夫婦も5年間の青森生活の中では、自宅から物理的に最も近い教会へ車で片道45分かけて通い、母教会へは車で片道5時間かけて顔を出していた。また多くの牧師、宣教師達が苦労しながら宣教している姿も目の当たりにした。やはり、日本にはまだ宣教の働きが必要であり、フルタイムで主に仕える働き人が必要なのだ。先の方の一言で、私たち夫婦は主の御前に心と想いを探られ、日本での宣教について再考することが出来、改めてその重要性と必要性を再度確信することが出来た。だからその方には感謝したい。
みことばを述べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
--- IIテモテ4章2節
私たち夫婦は、どのような時にあっても主のご栄光のために、みことばを述べ伝える主の働きに預かりたいと心から願い求めている。日々、御心の時に日本へ遣わされることを切に祈りつつ歩む日々である。どうか私達家族を祈りに覚えて頂き、共に日本人の失われたたましいの救いのために祈って頂けたら幸いである。
私達はニュースレター(日英両語)を発行しています。私達家族のニュースレターをご希望の方は、lukeandyuko@gmail.comまでその旨お知らせ下さい。メーリングリストに追加し、送信させて頂きます。 |
エリオット家の2010年を振り返って
主の備えを体験しつつ:
♪ 日々の糧を 与えたもう 恵みの御神は ほむべきかな アーメン ♪
我が家では食事の前に必ずこの賛美歌を歌ってから祈ります。2010年も引き続き神様が日々の糧(必要)を備えて下さる御方であることを、体験する数え切れない恵みに預かりました。その中からいくつか分かち合わせて頂きます。
2010年3月末、日本から持って来たトロント生活のための貯金も残り僅かとなり、私たち夫婦は「ウィクリフ神学校内のアパートから引っ越さなければならないかもしれない、ルカが仕事を見つけなければいけない、5月中旬には優子は出産だし…。」と、悶々と話し合い、祈り合う状況が続いていました。ところが4月初旬、突然ウィクリフ神学校の職員(Residence Don)が募集になり、主人が締め切りギリギリで願書を提出しました。多数の応募があったそうですが、私たち夫婦の思いをはるかに超えた主の導きにより、最終面接を受け採用となりました。加えて同じ建物内で更に大きいアパートへ引っ越せるよう、神学校側で手配して下さり、夫婦二人で涙を流して喜び主に感謝しました。クリスチャンの友人達が手伝って下さり、それまで住んでいた1階から2階のアパートへと引っ越した4日後に、私は無事に第三子「基(もとい)」を自宅出産することが出来ました。産後もグレーストロント日本語教会の皆さんが代わる代わる手伝いに来て下さり、美味しい食事の差し入れをして下さいました。こうして多くの方々の助けをとおして私達家族は産後の一番忙しく大変だった時期を乗り越えることが出来ました。心から感謝しています。
ある時、私たち夫婦がOMF宣教師になる手続きを進める中で、書類の手続き上、どうしても200ドルを支払わなければならなくなり、その時私は「ご存知のとおり、私たちには急な200ドルの出費は難しいです。神様、どうしましょう?」と祈りました。数日後、それまで音沙汰のなかった主人のアメリカの親戚から突然200ドルのチェックが送られて来ました。私たちが200ドルを支払わなければいけないことは誰にも言っていなかったのですが、完璧なタイミングで神様は私たちにちょうど必要な分を備えて下さいました。また生活費が足りなくなりそうになった時は、あるクリスチャンの友人夫妻を介して、彼らの教会から突然500ドルの献金があり、またその友人夫妻がお米を一袋献品して下さいました。このように、日々の糧を主が様々な形で備えて下さる恵みを体験させて頂きつつ今日まで守られました。与えられたもの全てを感謝して、私たちもまたいつでも隣人と分かち合えるように整えられたいと思います。
子供達の成長:
恵真(えま)、4歳:「えまちゃん、学校に行きたい!」と張り切っていた恵真は、9月新学期直前に急遽欠員が出た幼稚園(午後クラス)に通園出来ることになりました。最初の2日間は「やっぱり行きたくない。」と泣いていたのですが、3日目からは「まみい、2:45分じゃなくて4時に迎えに来てね!」と言い残し、あっけにとられている私の傍から、勢いよく幼稚園のドアに向かい走り去って行きました。毎日幼稚園に行くのを楽しみにしています。そこで、お友達皆がクリスチャンではないこと、皆がクリスチャンホームで育っているのではないこと等に気づき始め、よく食卓の話題に上っています。親の私たちも、恵真が幼稚園で受ける影響について理解するために、よく彼女の話しを聴くことを示され、神様のこと、聖書のことについて話し合う良い機会をも与えられています。
また恵真は、教会へ行くのが大好きです。土曜日に体調を崩した時は、私が「明日は教会へ行くのをお休みした方がいいかもしれないね。」と言うと、大粒の涙をポロポロ流して「えまちゃん、教会に行く!お休みしない!元気になるから行きたいよ〜!」ともう大変な騒ぎになります。そして、日曜学校に出席するようになり、実ちゃんが自然にお祈りしているのを聞いて「えまちゃんもお祈りする。」と自分から祈るようになりました。
妹、弟がいるので、我慢すること、お手伝いをすることも多い「お姉さん」ですが、喧嘩しつつも、外出する時は妹が危険な目に遭わない様にいつも気にかけたり、弟をあやして可愛がったりと、私は日々助けられています。
美信(みあ)、2歳:「みいちゃんも、えまちゃんみたいにしたい!」が美信の口癖です。親の私たちも美信が2歳であることを時々忘れてしまう程、発達が早く、けれどもやっぱり2歳の側面もあるので、気をつけて関わろうと思わされます。恵真とは全然違う個性の美信。子育ての醍醐味を感じる瞬間でもあり、また難しさを感じ祈らざるにはいられない瞬間でもあります。美信は音楽が大好きで、いつも自分で歌を作っては歌っています。自作の歌の中には必ずと言っていい程「ホサナ〜♪ハレルヤ〜♪アーメン」という言葉を入れていて、聞いている私は時々笑いをこらえるのに必死です。大好きなぬいぐるみやブランケットをいつも喜んで弟に貸してあげられる美信。2歳でも立派にお姉さんぶりを発揮しています。また、時々私が座って作業をしていると、私の後ろにスッと近寄り、私の肩をもんでくれます。私が喜ぶのを見て、美信も満足そうに笑います。
美信も見よう見まねで祈るようになり、よく「村井先生をありがとうございます。春美先生をありがとうございます。」と祈っています。またお友達のことも感謝するようになり、私は彼女が素直に色々な人達のために祈る姿をとおして祈りについて学ばせられています。
基(もとい)、9ヶ月:ノックス長老派教会では「Angel baby !」と呼ばれる程、穏やかな性格の基は、目が合うといつもニッコリしてくれます。基の笑顔を見る度に私は日々の慌ただしさや忙しさ等をしばし忘れ、ホッと一息ついています(一瞬ですが)。最近は、座ったまま少しずつ行動範囲が広がりつつあり、姉2人の行動をじっと目で追っています。また、早く一緒に遊びたいという気持ちからから、姉達を見ながら手足をバタバタさせています。教会の皆さんからも可愛がって頂き、基は本当に幸いです。
2010年も振り返ってみると、神様の恵みは数え切れません。私たち夫婦は弱く貧しい器ですが、それでも主がその御働きの一部に加えてくださり、様々な奉仕の機会が与えられているのは本当に感謝なことです。私にとって最も大きな恵みは、主人のバイリンガル説教の準備を手伝うことでした。主人の説教をチェックする、という名目で読む度に、実は自分が彼の説教をとおして最も恵まれています。なぜなら、主人の日々の信仰生活と説教の内容が一致しているということを、妻の私が一番良く示されているからです。
OMFカナダとしては、2012年の夏に私たちを日本へ派遣したいという予定を立てています。どうぞ主の御心の時までに、私たちに必要なサポートが与えられ、日本の地で主の御用のために働ける、その恵みに預かれますよう、お祈り頂けましたら幸いです。
私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
---ローマ人への手紙1章16節
正式に、私達家族の「祈り手(Prayer Partner)」となってくださる方がいらっしゃいましたら、OMFカナダのGwyn Matthews(gmatthews@omf.ca)へその旨メールで送信して下さい(英語のみ)。日本語でのお問い合わせはlukeandyuko@gmail.comまでお願い致します。 |